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主に山下達郎氏の記事を中心に
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1998.12.20 竹内まりやさんを迎えての、年末夫婦対談1   SSB  #0325  [番組テキスト]  

1 カムフラージュ 竹内まりや SSB 1998/11/18発売のシングル。ドラマ「眠れる森」主題歌。
  
2 砂に消えた涙 竹内まりや SSB オールディーズ用のカラオケを借りてきた (ガイドメロディー入り) 。小学校低学年の頃の愛唱歌だった。漣健児が日本語詩をつけたもの。
  
3 ステキなタイミング 竹内まりや SSB オリジナルはJimmy Jonesの「Good Timin'」のヒット曲
(1960年3位) 。漣健児の日本語詩で坂本九が歌ってヒット。 

4 My Gift To You 山下達郎 SSB
  
5 All I Have To Do Is Dream 竹内まりや & 山下達郎 SSB  

6 The Christmas Song 竹内まりや SSB  

7 クリスマス・イブ 山下達郎 SSB

例によってサーカスタウンネット様の記事を参考に。

前半のオールディーズポップスは後年(2003年)のまりやさんのオールディーズポップスカバーアルバムアルバム「ロングタイムフェイバリッツ」への振りなのかな。 
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2014/02/11 OnAir - 2nd. Week
- 大滝詠一追悼特別番組 〜ありがとう、大滝さん〜 第三回
過去、大瀧詠一氏が元春レディオショーに出演した放送(2011年4月放送)をかいつまんで・・・

 01.はっぴいえんど:颱風
あたりは に わかに か きくもり・・・

大瀧氏が、レコーディングにあたって一人でミキシング・ダビングをしている話

 
02.大滝詠一:君は天然色(A LONG VACATION)

03.大滝詠一:雨のウェンズデイ(A LONG VACATION)
 
04.大滝詠一:指切り
ミキサー吉野金次氏の話。指切りの大瀧氏のボーカルは吉野氏の強い押しで
ガイドボーカル(テスト用のボーカル録音)を使用とのこと。

 
05.大滝詠一:それはぼくぢゃないよ

06.大滝詠一:五月雨

07.大滝詠一:1969年のドラッグレース(EACH TIME)
松本隆さんが大瀧詠一氏にあてた歌詞だとか。1969年にはっぴいえんど結成直前に細野晴臣氏と三人でドライブしたことを題材にしているとか。

  
08.大滝詠一:あつさのせい
あ  つさのせい

大瀧氏のファーストアルバムはどうもはっぴいえんどラストアルバムより前だったのか、もう記憶なし。

「HAPPYEND」はいつも言っていた地下街のレコード屋の兄ちゃんから出てますよといわれたんだけど、そんなに親しくはなかったような気が、でもいつも会社帰りには寄っていたから(買わずにLPレコードを繰って見ていただけ)、声をかけられたのかなー。もうその頃は一部のコアなファンには有名になっていたのかなー。

大瀧氏ファーストアルバムはメロディアスな作品と、例によっての冗談っぽい作品との組み合わせ。トータル30分ちょっとぐらいかな。

そして「ナイアガラムーン」趣味性が強く出た作品。その後はどちらかといえばこの趣味性。ネタっぽい作品の流れが主になってくるのか。

しかしまあ大瀧さんの中では必然の流れなのか。1981年に「A LONG VACATION」でポップ性、メロディアスな癒しの濃い作品をリリースする。

でもこのころ私どもは山下達郎氏へ好みが移行していくのです。


2005年10月30日
【FM】NHK-FM「サウンド・ミュージアム」松尾潔×山下達郎
                

「キスからはじまるミステリー」  (山下達郎・フィーチャリング・リョー・フロム・ケツメイシ)<ワーナー WPCL-10229>

「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」(サム・クック)

「ドント・テル・ミー・ザット・イッツ・オーヴァー」(フォー・トップス)

「カリフォルニア・マイ・ウェイ」 (フォー・フレッシュメン)

「カリフォルニア・マイ・ウェイ」 (ザ・フィフス・ディメンション)

「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」(ルーサー・ヴァンドロス)

「マイ・センシティヴィティ」(ヘヴン17・フィーチャリング・ジミー・ラフィン)
 <Virgin VS 859-12>

「オール・アイ・ウォント・トゥ・ドゥ」(レイ・チャールズ・ウィズ・アンジー・ストーン)
 <Rhino WPCR-12206>

「ホワッド・アイ・セイ」(ロイ・オービソン)

「ホワッド・アイ・セイ」(レイ・チャールズ)

「キャント・ゲット・アウト・ザ・ゲーム」(ニコル・レイ・フィーチャリング・ビーニー・シーゲル)

「ダンサー」(山下 達郎)<RVC RHCD-16>

「ゴールド・ディガー」(カニエ・ウェスト・フィーチャリング・ジェイミー・フォックス)
 <ユニバーサル UICD-9014>

「ネイティヴ・ニューヨーカー」(フランキー・ヴァリ)

「ワン・イン・ア・ミリオン」(ザ・デュプリーズ)

「ハリー・アップ・アンド・ウェイト」(ザ・アイズレー・ブラザーズ)

「シンプル・メロディ」(ジョン・B)

「ユアー・マイ・サムワン・トゥ・ラヴ」(マクファーデン&ホワイトヘッド)

「ディス・イズ・フォー・ア・リール」(ルーサー)

「ブレイク・アップ・トゥ・メイク・アップ」(ザ・スタイリスティックス)

「ディドント・アイ(ブロウ・ユア・マインド・ディスタイム)」(ザ・デルフォニックス)

「ラヴ・メイクス・ザ・ワールド・ゴー・ラウンド」(デオン・ジャクソン)

「シークレット・ラヴァー」(山下 達郎)<ワーナー WPCL-10229>


 エー某ブログのコピペでございます。恐縮です。
いつごろ認識したのかな。
高校生ごろからフォークブームというのがあって、アメリカンフォークだけども、
キングストントリオとかPPMとかブラザースフォーとか
そんな中日本のフォークとして、高石友也とか、高田渡さんとか。
たぶんみなFM放送で知ったと思う。
ところでJAZZにも関心があって、
バンドというものにも親しみがあったと思うんだけどな、
ボブディランとかビ-トルズとかからかな
でも彼らの歌は英語で、歌っていてリアルタイムでは意味がよくわからない、
まあそのあたりで日本語のフォークというものに関心があったんじゃないかな、
その前提としての訳詞(漣健児氏とか)のアメリカンポップスから、
いわゆる和製ポップス。まあ当たっているかどうか知りませんが、永六輔、中村八大のコンビでの流行歌ではないポップス。坂本九とか、

もっと濃い物深いものと思ってはっぴいえんどに移行したのか。

最初は風待ちろまんだったと思うが、そしてゆでめんに遡り。
解散前のはっぴいえんど(ロス録音;サードアルバム)なんだろうか。
こちらがそれ

すでにメンバーひとりひとりの音楽の方向が違ってきているのが見える



追悼】
大滝詠一さん そして彼は生きる伝説に レーベルプロデューサー・三浦光紀
2014.1.14 12:02 (1/2ページ)

 


 1970年8月、「日本語のロックの開祖」として伝説になった「はっぴいえんど」のデビュー盤レコードに僕が針を落とした途端、それまでの日本人歌手にはない独特の歌唱法で「春よ来い」と歌う異能のボーカリストに衝撃をうけました。それが大滝詠一さんでした。

 その後、僕はプロデューサーとして「はっぴいえんど」のアメリカ録音などを通じ、大滝さんと仕事をしました。そして彼が作詞家、作曲家、編曲家、ボーカリスト、さまざまな楽器のプレーヤー、サウンドエンジニア、音楽プロデューサーなどなど、アーティストとしてのすべての面において並外れた才能を持ってることを知るようになりました。

 僕は当時の一部熱狂的なマニアに支持されていた「はっぴいえんど」の素晴らしさをより広く知ってもらうには、大滝さんのソロアルバムを出すことが一番の近道だと思い、大滝さんに話をもちかけました。そして72年4月、大滝さんのレコーディングが実現しました。古き良きアメリカンポップスのイディオム(慣用句)を、深い芸術的素養とユーモアのセンスで大滝流に変化させ、全く別次元の作品に仕上げてしまう手法、2チャンネルの録音が主流だった時代に16チャンネルの録音機材を駆使してサウンドを構築する仕事ぶりに圧倒されました。
 

 最近は人前に出ることを極端に避け、亡くなる前は10年以上も作品を発表しませんでした。たまに電話で話すと、はっきりと心境を語ることはしませんでしたが、あらゆる音楽に精通し、自らに高いハードルを課していた人なので、自分が納得しないものは発表したくなかったのではないでしょうか。デカルトの「よく隠れることは、よく生きること」という言葉のように、その結果、彼は生きる伝説になりました。

 日本のポップスのスタンダードを確立した巨人に出会えた幸運に感謝し、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。(談)


****
以上は、ファーストアルバム「大瀧詠一」の話。(キング・ベルウッドより発売)

三浦光紀さんはキングレコード在籍当時全日本フォークジャンボリーに録音機材を持ち込みライブレコードを制作しました。またはっぴいえんどや小室等さんなどの多数のアーチストのレコードを制作しました。

その後は他レーベルに移籍。プロデューサー業を続けているようです。
 
いよいよA LONG VACATION






最初は大瀧さんにしてはPOPすぎるアルバムかなと思いました。

しかし彼のメロディメーカーとしての良さが完璧に表れている名盤となりました。

当時の、カントリーフォーク的な、サザンロックな流れ。

アメカジ的な、当時にはやりな感じをいっぱいに含みながらも独自な上質なポップスを生み出している。

ある意味集大成であり、しかもかなり年齢的には早い時期に作りこんでしまった。これ以上は何をするかということなんですが。




1.君は天然色 (5:04)
2.Velvet Motel (3:43)
3.カナリア諸島にて (3:59)
4.Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語(ストーリー) (3:15)
5.我が心のピンボール (4:24)
6.雨のウェンズデイ (4:23)
7.スピーチ・バルーン (3:55)
8.恋するカレン (3:22)
9.FUN×4 (3:25)
10.さらばシベリア鉄道 (4:35)
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