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主に山下達郎氏の記事を中心に


1963年6月のアメリカビルボードのヒットチャートで「上を向いて歩こうが1位に。あれから50年か。以下中日新聞の記事からのダイジェスト及びレビュー。

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イギリスBBCの放送関連ウエブサイト「世界を変えた二十曲」への米国人によるこの曲の書き込み「米国人がかつての敵国に対する態度を大きく見直すことになった曲だ。日本人がミステリアスない民族でなく自分たちと同じ美しく繊細な感情を表現できる人々なのを教えてくれた」

音楽プロデューサーでこの曲の全米ヒットの謎き取り組んでいる佐藤剛氏によると、

たまたま米キャピトルレコードのプロデューサー、デーブ・デクスター・ジュニアさん、ビートルズの米国デビューにもかかわった人が重要な役割を果たす。

佐藤さんの調査によると、カリフォルニア州の中部フレズノ市のラジオ局、かつて日本から大勢の移民が目指した土地。ある日系人がラジオ局に日本で発売されていたこの曲を持ちこんだ。DJが気にいってこの曲を何日か流したところ、フレズノ市一帯からリクエストが殺到した。日系人ばかりじゃなく日本語がわからない人もこの曲を聞きたがった。
最初に持ち込んだ日系人が誰だかはわからない。その後の展開は早い。デクスターさんの自叙伝によるとそのDJが全米ヒットの予感があるとデクスターさんに連絡した。

デクスターさんが気に入り全米ラジオ局で紹介したところ反応は上々。これを見て63年5月にシングル盤を発売し。そのわずか一カ月でチャート1位に輝いた。64年、百万枚を突破しゴールデンディスクを受賞した。
曲名を「スキヤキ」にしたのもデクスターさんだった。「スキヤキは米国人が知っている数少ない日本語の一つだったからだ」と記している。

なぜ米国人には意味のわからない日本語の歌がヒットしたのか。デクスターさんは「心地よいサウンド、口ずさみやすいポップス」「覚えやすいメロディ」と「坂本の切なくてメランコリックな歌声」と自叙伝で記している。

この曲を作詞した永六輔さんは、60年安保闘争で敗北した悲しみを表現したと言っているが、意味のわからないまでも曲全体の切なさは米国にも支持されたと言えヒットの背景になった。

佐藤さんは、ヒットの理由をエルビスプレスリーに影響された坂本さんの歌い方にもポイントがある。ワンテンポずらせて歌うことで絶妙なビート感を醸し出し、これが米国人の好むロックンロールにつながっていると分析する。
さらに独特な抑揚を加えた歌唱にも関係があると見る。「ケルト民謡、ヨーデルなども同じような声を使っている」「坂本さんの歌い方は人類全体的に伝えられた歌い方だ。ある種の懐かしさを感じさせ歌詞がわからなくても心に届く。」
同曲は米国で火がついた後、英国など欧州全体でもヒットした。
発売元のEMIミュージックジャパンによると同曲は最終的に七十カ国で販売され現在までの総売り上げ枚数は1千万枚を超えている。その後戦前のカバー「支那の夜」を出したが最高位五十位で終わった。

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個人的には最初に購入したシングル盤が「上を向いて歩こう」だった。懐かしの音楽を紹介する番組では必ず登場するあのジャケット。モノクロ写真。素朴だったな~。阪神大震災や、東北の大震災、津波、原発の事故による避難とか。大きい事件の中でこの曲が癒しになっているという。個人的にはジャズっぽいと思えるこの曲。しかし物悲しさも感じる曲想でもある。歌詞は暗めながらも前向きな意味合い。この微妙なマッチングが不思議な感動を与えるのだろうか。
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